フィリピン2 UP+イントラムロス編 2006. 09 ; |
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大学のシンボル像ともいういべき、裸の男性像。神に裸の心を捧げる…というような意味合いらしい。 学校祭の折には、この像にちなんで、有志はすっ裸になって、目隠しをして校内を走り回るらしい。若いっていいねえ。 |
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敷地内はとにかく緑にあふれている印象。 環境はいいが、蚊などの心配もある。デング熱で死にかけた日本人学生もいると聞いた。 |
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←収容所のような写真だが…^^; |
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【イントラムロス】 |
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16世紀当時、スペイン人の侵略の拠点として、この城塞都市が作られた。当時の敵は、現地人や中国人であった。 以後も、帝国主義の侵略の波のなかで、フィリピンは翻弄される。 1762、一時イギリスに占拠されたものの、すぐにスペインに復帰(1764)。 1898、米西戦争により、アメリカが勝利。フィリピンはアメリカ領となる。 1934、アメリカ議会は10年後のフィリピン独立を承認。 1942、第二次世界大戦時、日本の占領下に置かれる。 1946、アメリカより独立。 1956、日比賠償協定調印、日比国交回復。 |
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■ サン・アウグスティン教会 世界文化遺産にも登録されている、フィリピン最古の石造建築の教会。 |
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教会内。 | ||
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パリから取り寄せられたというシャンデリア。 | |
教会内では、ちょうど結婚式の最中でした。 この日は、 朝のホテルでも、ここサン・アウグスティンでも、この後に行ったマニラ大聖堂でも、帰った後のホテルでも、合計四組もの結婚式に出会いました。フィリピンの大安吉日だったのでしょうか?? |
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■ マニラ大聖堂 フィリピンでもっとも重要とされている教会。1571年創建、第二次世界大戦で破壊され、1958年に再建。 フィリピン、カソリックの総本山である。 |
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教会の扉のレリーフが、特に筆者の目をひいた。どれも神秘主義的な図柄であるが、左の写真などは、ちょっとわかりづらいが、ピラミッド・アイがレリーフされている。 (ピラミッドのなかに眼が描かれ、その眼から三本の光が照射されている。アメリカの一ドル札の裏にあるのと同様のシンボル) 一見メーソン的ではあるが、カソリックの教会であることを考えれば、これはイエズス会の伝統であろう。初期イントラムロスの建築が、建築学の知識を持ったイエズス会員、アントニオ・セデーニョの指揮によってなされていることを考えれば、当たらずとも遠からずといったところではないだろうか。 |
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■ サンチャゴ要塞 過去には城塞都市の指令部であり、罪人の収容所であった。現在は美しい庭園になっている。 |
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写真正面のトンネルには鉄格子がはまっている。収容所の一部として使われていたようだ。大戦中の日本軍もこのサンチャゴ要塞に司令部を置き、反抗する多くのフィリピン人を幽閉・処刑した。また、それ以前にも多くの人々が、時の権力者の手によって葬られた、陰惨な歴史を持つ場所である。 | ||
スペイン大航海時代の面影を残す、重厚な石造りの大手門。 この手前は堀になっている。銃窓のためにえぐられた壁のつくりなど見ても、日本の城と比して、その建築思想に大差は無い。 |
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フィリピンでは知らぬもののいない、独立運動の英雄ホセ=リサールの銅像。背後はホセ=リサールの記念館になっている。 |
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さて、帰国後、たいへんなニュースを知らされた。 |
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◆イントラムロスで真昼の銃撃戦、4人死亡 8/31日午後1:00、観光名所として有名なマニラ市イントラムロスで警官と強盗団が銃撃戦を展開、警官1人を含む4人が死亡、強盗団のメンバー4人が逮捕された。 死亡したのは国家警察犯罪捜査課(CIDG)の巡査と、ギャング組織のリーダーと言われる容疑者とギャングのメンバーで無断欠勤中の国軍兵士1人および警備員の4人。 警察によると強盗団は午後1時、イントラムロスにある両替商を襲撃、これを目撃した人が警察に通報、現場に駆けつけた警官隊と銃撃戦になったという。 |
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我々がイントラムロスへ出かけたのが9/2昼。その二日前にこの場所で、真昼間からマシンガンでの銃撃戦が行われ、しかも四人が死んでいたのだ。 アセる。。。 ホント、知らぬがホトケと言いますか、普通に観光してた我々って…。 まったく危険な国であります。”無断欠勤中の国軍兵士”とか、意味が分かりません。日本で無断欠勤中の自衛隊員が強盗をやってるなんてこと、ありうるでしょうか? なんにせよ、無事に帰ってこられてよかったです^^ |
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フィリピン1へ | (つづく) |
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