フィリピン2 UP+イントラムロス編 2006. 09 ;


 
 


【UP】

フィリピン大学を見学。フィリピン大学は、フィリピン随一の国立総合大学。

大学構内はとても広い。学生たちは校内をジープニーで移動するようだ。

いろんな人種の若者たちがはしゃぎながら通り過ぎる。

 



大学のシンボル像ともいういべき、裸の男性像。神に裸の心を捧げる…というような意味合いらしい。

学校祭の折には、この像にちなんで、有志はすっ裸になって、目隠しをして校内を走り回るらしい。若いっていいねえ。
  敷地内はとにかく緑にあふれている印象。

環境はいいが、蚊などの心配もある。デング熱で死にかけた日本人学生もいると聞いた。



 






←収容所のような写真だが…^^;

従弟の住む学生寮。大学の敷地内にある。ここでルームメイトの中国人と一緒に暮らしているそうだ。シャワーは水しかでないそうだが、水が出ればよいほうで、でないときもあるとのこと。

 



【イントラムロス】

イントラムロスはスペイン語で、「壁の中」という意味。マニラにおける、スペインの城塞都市として、現在まで往時のおもかげを残している。

"
フィリピン"という国名からして、スペイン大航海時代・最盛期の国王、フェリペ2世の名前から来ている。もともとは"フェリペ2世の島々"という意味である。


 



16世紀当時、スペイン人の侵略の拠点として、この城塞都市が作られた。当時の敵は、現地人や中国人であった。

以後も、帝国主義の侵略の波のなかで、フィリピンは翻弄される。


1762、一時イギリスに占拠されたものの、すぐにスペインに復帰(1764)。

1898、米西戦争により、アメリカが勝利。フィリピンはアメリカ領となる。

1934、アメリカ議会は10年後のフィリピン独立を承認。

1942、第二次世界大戦時、日本の占領下に置かれる。

1946、アメリカより独立

1956、日比賠償協定調印、日比国交回復。
 



■ サン・アウグスティン教会

世界文化遺産にも登録されている、フィリピン最古の石造建築の教会。
 



教会内。
 





パリから取り寄せられたというシャンデリア。
  教会内では、ちょうど結婚式の最中でした。

この日は、
朝のホテルでも、ここサン・アウグスティンでも、この後に行ったマニラ大聖堂でも、帰った後のホテルでも、合計四組もの結婚式に出会いました。フィリピンの大安吉日だったのでしょうか??



 




 
 



 
 



■ マニラ大聖堂

フィリピンでもっとも重要とされている教会。1571年創建、第二次世界大戦で破壊され、1958年に再建。 フィリピン、カソリックの総本山である。
 





教会の扉のレリーフが、特に筆者の目をひいた。どれも神秘主義的な図柄であるが、左の写真などは、ちょっとわかりづらいが、ピラミッド・アイがレリーフされている。

(ピラミッドのなかに眼が描かれ、その眼から三本の光が照射されている。アメリカの一ドル札の裏にあるのと同様のシンボル)

一見メーソン的ではあるが、カソリックの教会であることを考えれば、これはイエズス会の伝統であろう。初期イントラムロスの建築が、建築学の知識を持ったイエズス会員、アントニオ・セデーニョの指揮によってなされていることを考えれば、当たらずとも遠からずといったところではないだろうか。
  ■ サンチャゴ要塞

過去には城塞都市の指令部であり、罪人の収容所であった。現在は美しい庭園になっている。
 



写真正面のトンネルには鉄格子がはまっている。収容所の一部として使われていたようだ。大戦中の日本軍もこのサンチャゴ要塞に司令部を置き、反抗する多くのフィリピン人を幽閉・処刑した。また、それ以前にも多くの人々が、時の権力者の手によって葬られた、陰惨な歴史を持つ場所である。
 



スペイン大航海時代の面影を残す、重厚な石造りの大手門。

この手前は堀になっている。銃窓のためにえぐられた壁のつくりなど見ても、日本の城と比して、その建築思想に大差は無い。
 



 
 



フィリピンでは知らぬもののいない、独立運動の英雄ホセ=リサールの銅像。背後はホセ=リサールの記念館になっている。

ホセ=リサール(1861-1896)は、フィリピン独立運動の闘士にしてフィリピンの国民的英雄。医師、作家、画家でもあった。その著作や運動によって、フィリピンの独立の気運を高めた。

やがて危険分子として時のスペイン政府の手によって捕らえられ、ここサンチャゴ要塞に幽閉され、処刑された。今でも人々に愛され続けている。


日本で言えば、文科系・西郷どんといったところか。




そういえば、ホセ=リサールは、明治二十年、日本を訪れている。日本は政権がひっくりかえって二十年、他のアジア諸国にさきがけて、近代国家としての軌道がようやく見え始めてきた頃だ。

亡命中のホセは、日本で一人の女性と恋に落ちる。それが「おせいさん」こと、臼井勢以子である。

臼井勢以子、江戸旗本の娘。戊辰戦争の折には、兄が彰義隊に参加、討ち死にしている。

おせいさんは一ヶ月ほど、ホセのガイド役として日本を案内した。ホセは日本の風景に、芝居(忠臣蔵)に、人々に夢中になった。しかしやがて彼は、このような幸福な生活を断腸の思いで断ち切り、日本を去る。

彼は革命家であったからだ。

西郷どんが最後の反乱を起こして十年とはいえ、この頃の日本にはいまだ尚武の気運が渦巻いていたに違いない。欧米との不平等条約がいまだに残っていたものの、それらを克服しようと帝国諸国を相手取り、富国強兵、殖産興業の独立近代国家の確立へと邁進する日本の姿。その空気を革命家たるホセが感じないということはなかっただろう。

時のハワイが、日本を首長国にしたアジア連合を夢想したように、また、タイ国チャクリー朝(独立を最後まで守りえた)が、明治日本に範を求めたように、フィリピンの革命家である彼もまた、アジアの近代国家・日本を見て、いても立ってもおれず、自国の完全独立を夢想したに違いない。

残念ながら、彼は日本を去って八年の後、このイントラムロスの地で、スペイン政府の手によって刑死する。



(リサールも興味深い人物だが、明治好みの筆者としては、臼井勢以子という女性にもとても惹かれるものがある。リサールと会う前、リサールが去った後、この人の人生をより詳しく調査してみたい。

革命で没落した武家の娘と、異国の革命家との、つかのまの恋…ロマンスを感じるじゃないですか。)











 



さて、帰国後、たいへんなニュースを知らされた。


    ◆イントラムロスで真昼の銃撃戦、4人死亡

 8/31日午後1:00、観光名所として有名なマニラ市イントラムロスで警官と強盗団が銃撃戦を展開、警官1人を含む4人が死亡、強盗団のメンバー4人が逮捕された。

  死亡したのは国家警察犯罪捜査課(CIDG)の巡査と、ギャング組織のリーダーと言われる容疑者とギャングのメンバーで無断欠勤中の国軍兵士1人および警備員の4人。
  警察によると強盗団は午後1時、イントラムロスにある両替商を襲撃、これを目撃した人が警察に通報、現場に駆けつけた警官隊と銃撃戦になったという。

   



我々がイントラムロスへ出かけたのが9/2昼。その二日前にこの場所で、真昼間からマシンガンでの銃撃戦が行われ、しかも四人が死んでいたのだ。

アセる。。。

ホント、知らぬがホトケと言いますか、普通に観光してた我々って…。

まったく危険な国であります。”無断欠勤中の国軍兵士”とか、意味が分かりません。日本で無断欠勤中の自衛隊員が強盗をやってるなんてこと、ありうるでしょうか?


なんにせよ、無事に帰ってこられてよかったです^^







  フィリピン1へ (つづく)



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